初めまして、あさみと言います

私は、小さい頃から変わった子と言われ思われ
親からも人格否定され

常に居場所を求めながら住居や仕事を転々と忙しく動き回りながら生きてきました
💦


いつも部屋の窓から見えるお星さまに
👏手を合わせながら、私をここから連れ出して下さいとお願いをしてた子供時代でした


いつも独りぼっち、静寂の中で過ごしていて
知らず知らずの内にそれが当たり前になっていきました。


私は誰からも愛される事は無いんだと思うようになり着々と心を閉ざしていきました。


家系の話は伏せますが
とても虚しく苦しく寂しく、暗かったです

小学校や中学校へ行く理由は、ただ家から抜け出したくて行っていた様な覚えがあります(笑)
中学卒業後には最終的に全身リュウマチの祖母と二人暮らしになり、必然と介護生活を送るようになりました
💦
今の時代みたいに介護やヘルパーさんは存在していなかった時代なので


でも、私は祖母と祖父には感謝の気持ちがあったので
恩返しだと自分に言い聞かせる様に介護をさせてもらっていました


だけど、時が経つにつれ 私の心は段々と壊れ始めていきました。

何故そうなっていったのかを思い出しながらブログを書いてます


その壊れ始めた原因は親や、身内、全ての人が私と祖母を見捨て
祖母のことをすべて私に任してくるようになり、手伝ってくれる気すら一切無く

むしろ逆に祖母の実の娘である私の従兄妹の伯母が思わぬ発言をしました💦


私が祖母の介護の最中で伯母が私に、お前よくそんな事が出来るなぁ


それらの発言や私や祖母を見る身内のキツイ視線が私の中で何かが壊れ始めていくキッカケになっていったのでしょう


とうとう私は鬱になってしまいました
そんな私を見つけたのも伯母でした(笑)
この当時、私は16歳。



病院で出された薬を服用した時、私は生きた心地がしなかった事を
今でもハッキリと覚えています


私は何の為に生まれ、何の為に生きているのかと毎日、毎日と考えていく様になりました
こんな状況になっても誰一人、手を差し伸べてはくれなくてそれでも介護生活は普通に続き


私は一般内科で処方してもらえるソラナックスを母から貰い飲んでみると、なんとビックリw
めちゃめちゃテンションが上がる上がる



ヨシッ、これで生きて行く事が出来ると思いつつ


ちょうど母が水商売の雇われママとして小さなスナックで働き出した事もあって私もそこで初心者の女の子として雇ってもらい、18歳でお水デビューを果たしました


この仕事だと自分を偽る事が出来ると直感で思ったのでしょう


私は、その時に繊細で清らかな心の一部を箱に詰める事を意図しました。
そしてそれを忘れぬ様にと自分に言い聞かせ、いずれその箱を開ける日が必ず来ると意図し


私はお水の女の子として18歳~25歳までブッ通しで、がむしゃらに働きました


ってな感じで、私の人生の一幕でした(;^ω^)


鬱になった頃から、いつまでやったかな
多分、ほんの少し前までは死にたい願望がずーーーーっと取れなかったのが凄く一番しんどかったなぁ~


なんて今では思います(^▽^;)